離婚してから何年も会っていない元義父母。
連絡も取っていないし、今さら会いたいとも思わない——。
でも、もしどちらかに不幸があったら?
子どもを通して訃報の連絡が来たら、私はどうしたらいいのだろう。
仮にも25年以上、家族として過ごした人たち。
今はもう「他人」だけど、心のどこかに、感謝や義理のようなものが残っている。
そんなとき、通夜や葬儀に出るべきか、それとも香典だけ託すべきか。
悩むのは、私だけじゃないと思うのです。
この記事では、離婚後の「元義父母に不幸があったとき」の対応について、
マナーや気持ちの整理、ケース別の判断ポイントをやさしく解説していきます。
離婚後も「元義父母との関係」に悩む人は多い
離婚をすれば、戸籍上も法律上も義父母とは「他人」になります。
でも、心の中まですっぱりと切り離せるかといえば、そう簡単なことではありません。
特に長く結婚生活を続けていた場合や、元義父母と過ごした時間が温かいものであった場合、
感謝の気持ちや、ある種の「恩義」のような感情が残っていることもあるでしょう。
また、子どもがいる場合は、「孫としての関係」が続いていることも多く、
完全に縁を切ることは現実的に難しいこともあります。
距離を取っているつもりでも、いざ訃報が届いたとき、
「私に何ができるのだろう」と立ち止まってしまうのは、ごく自然なことです。
訃報を受けたとき、どう判断すればいい?
元義父母に不幸があったとき、どうするか。
それは「行く・行かない」の二択では語れない、複雑な判断が求められます。
まずは、次の3つの視点から、自分の気持ちと状況を見つめ直してみてください。
自分の気持ちを正直に見つめる
会いたくない——そう思うのは自然な感情です。
離婚に至った理由がどうであれ、距離を置くことでようやく気持ちが落ち着いた人もいるでしょう。
でも同時に、「あのとき支えてもらった」「孫をかわいがってくれた」
そんな感謝がよぎることもあるかもしれません。
どちらの感情も、否定する必要はありません。
まずは、「今の自分はどうしたいか」を素直に見つめてみることが大切です。
子どもとの関係性を考える
もしあなたに子どもがいて、訃報を子どもから聞くような関係であれば、
その子にとって元義父母は「おじいちゃん・おばあちゃん」です。
「ママ、来てくれるとうれしい」
そんな一言があれば、あなたの立場もまた少し変わってくるかもしれません。
反対に、「来ないでくれる?」と言われたなら、それを尊重するのも親としての思いやり。
子どもとの距離感や気持ちも、一つの判断材料になります。
元夫や親族との関係はどうか
もし参列した場合、必ず顔を合わせることになるのが、元夫やその親族です。
今でも関係が良好なら問題ありませんが、そうでない場合は、場の空気を乱してしまう可能性もゼロではありません。
「来ないほうがよかった」と思われてしまうような関係性なら、香典だけを託す、手紙だけ添えるという選択肢も考えてよいでしょう。
香典だけ渡す?参列する?ケース別に考える

訃報を受けたあと、最も悩むのが「参列すべきかどうか」。
ここでは、関係性のパターン別に、考えられる対応を紹介します。
正解があるわけではありませんが、あなたが「これでよかった」と思える形を選ぶためのヒントになれば幸いです。
関係が良好だった場合:自然な気持ちで参列を
もし元義父母との関係が良好だった場合、
たとえ離婚後は距離があっても、参列することに抵抗は少ないかもしれません。
「今さら来てどう思われるだろう…」と気になるかもしれませんが、
大切なのは“世間体”より“自分の納得感”。
感謝を伝えたい、最後に顔を見たい——そんな気持ちがあるなら、参列という選択は自然なものです。
ただし、元夫や親族との関係性にもよりますので、トラブルになりそうなら事前に子どもを通じて確認を取るのも一つです。
関係が疎遠・絶縁状態だった場合:香典や手紙を託す
もう何年も会っていない、気まずさが残っている……
そんな場合は、無理に参列する必要はありません。
その代わり、気持ちを香典やお悔やみの手紙に託すという形も、思いやりのある立派な弔意の表し方です。
香典を預ける場合は、子どもや信頼できる親族を通じて託し、
「ご迷惑をおかけしないよう欠礼いたしますが、心ばかりの気持ちをお納めください」
といった一言を添えると、丁寧な印象になります。
参列しない場合のマナー:香典の相場と例文
香典の金額は、元義父母であれば5,000〜10,000円が一般的です。
金額に決まりはありませんが、今の関係性や自分の気持ちを軸に判断しましょう。
また、メッセージを添える場合の一例はこちら
長い間、大変お世話になりました。直接お礼を申し上げることが叶いませんが、心よりご冥福をお祈りいたします。
子どもが連絡してくれるときの心構え
離婚後、元義父母と直接やり取りしていなかったとしても、訃報は「子どもを通じて」知らされるケースが多いものです。
そのとき、親としてどう向き合えばいいのでしょうか。
感情的にならないための「心の準備」
「おじいちゃんが亡くなったよ」
そんな連絡が突然来たとき、あなたの心にさまざまな思いが押し寄せるかもしれません。
でも、そこでまず大切なのは、子どもの立場に立つことです。
子ども自身も、大切な人を失ったばかり。
その悲しみの中で「ママに伝えなくちゃ」と連絡をくれるわけです。
「ありがとう、知らせてくれて」とまずは伝えてあげましょう。
「どう思う?」と子どもに相談してみる
もし、葬儀に行くかどうか迷っているなら、子どもに聞いてみてもかまいません。
「あなたは、私が行ったらどう思う?」
「香典だけ渡したいんだけど、お願いしてもいい?」
こうしたやり取りは、親としての優しさを伝えると同時に、子どもにとっても、あなたの存在が支えになったりします。
子どもに任せすぎず、自分の答えを持つ
とはいえ、すべてを子どもに委ねる必要はありません。
判断の最終責任は、やはり自分にあります。
迷いながらも、「こうしたい」「こうすることにした」と自分なりの答えを出すことが、のちの後悔を減らしてくれます。
誰かに決めてもらうのではなく、“自分が納得できる形”を見つけることが大切です。
25年以上“親”だった。心の整理に必要なこと
たとえ離婚したとしても、
「親戚付き合い」としての役割は終わっても、
心のどこかで「人生の一部を一緒に過ごした人」として、
元義父母の存在が残っている——そんな人も少なくないでしょう。
特に、何十年という月日を一緒に過ごしてきた方にとっては、
「親だった」という実感が、そう簡単に消えるものではありません。
無理に関係を続ける必要はないけれど
「最後に顔を出すべき?」
「行かないなんて冷たいと思われる?」
そんなふうに、周りの目を気にしてしまう気持ちもわかります。
けれど、葬儀は「社会的な行事」であると同時に、自分自身の気持ちと向き合う“心の儀式でもあると思うのです。
誰かの期待に応えるために動くのではなく、自分の気持ちがどこにあるかを確かめるために、どうしたいかを選ぶこと。
それが何より大切です。
心の中で「さよなら」を言うという選択肢もある

もし参列しないという選択をしたとしても、「それで終わり」というわけではありません。
たとえばーーー
- 家で手を合わせる。
- 仏前用のお花を送る。
- 心の中で、感謝の言葉をつぶやく。
そういった小さな行動も、きちんと自分なりの弔いになります。
他人から見れば何でもないようなことでも、
あなたの心に区切りをつけるためには、充分意味のあることです。
自分の気持ちを否定しないで
「こんなに迷うなら、やっぱり行くべき?」
「まだこんなふうに引きずってるなんて、弱いのかな…」
そんなふうに、自分を責める声が頭の中に浮かんできたら、どうかその声に「ちがうよ」と言ってあげてください。
それだけ、心を込めて家族を築いてきた証拠なのです。
迷って当然。悩んで当たり前。
むしろ、あなたの人としてのあたたかさを表しているのだと思います。
私の場合はこう考えました
私は離婚してから、元義父母とは一度も会っていませんし、連絡もしていません。
車で30分ほどの距離に住んでいるのですが、なんとなくその近くを通ることさえ、無意識に避けているような気がします。
「今さら会いたくない」——
その気持ちは、私の中でずっと変わらずにあります。
でも、ふと考えることがあるのです。
もし、あの二人のどちらかに不幸があったら——私はどうするのだろう、と。
仮にも25年以上、「親」として関わってきた人たちです。
いいことばかりではなかったけれど、
お世話になったこと、助けてもらったことも確かにありました。
もし子どもから「おじいちゃんが亡くなった」と連絡が来たら、
たぶん私は、お通夜に行くかどうかをしばらく迷うと思います。
もしかしたら、その場に行く勇気は出ないかもしれません。
でも、だからといって「何もしない」のではなく、
香典だけでも預けて、自分なりの「けじめ」をつけたいと思っています。
きちんとお礼が言えなかったことが、
心のどこかにずっと残っているからです。
形式じゃなく、気持ちの問題。
誰かに「行ったほうがいい」と言われたからではなく、
「これが私なりの誠意」と思える行動を選びたい。
今は、そんなふうに考えています。
まとめ|大切なのは「どう思われるか」ではなく「自分が納得できるか」
離婚をすれば、元義父母とは法的にも形式的にも“他人”になります。
でも、長い時間を一緒に過ごした相手だからこそ、
「最後にどう向き合えばいいのか」と悩むのは自然なことです。
行くか、行かないか。
香典を出すか、何もしないか。
その選択に、明確な“正解”はありません。
けれど、一つだけ確かなのは——
自分自身が「これでよかった」と思えるかどうか。
誰かにどう思われるかではなく、
「これが私なりの気持ちの表し方」と言えることが、大切なのだと思います。
今は迷っていても、何年後かにふと振り返ったとき、
「私はあのとき、ちゃんと向き合った」と思えるような、
そんな行動を選べたら——きっと心は少しずつ軽くなっていくはずです。
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